【随想】
「知らぬが仏」と「論より証拠」

最近ことわざの類を目にする機会がずいぶん減りましたが、「論より証拠」、「知らぬが仏」など短いフレーズでメッセージを明確に伝えるものは、様々なニュースが巷に流れる中でふと頭に浮かぶことがあります。「論より証拠」という成句には中国の古典の格式を感じ、「知らぬが仏」 にはどこか粋で少しとぼけたニュアンスを感じますが、実はどちらも江戸いろはかるたが発祥だそうです。
先の通常国会で働き方改革関連法案が成立し、企業の雇用管理も新たなフェーズを迎えました。罰則付き残業規制はもちろんですが、経営側の労働時間適正把握義務が明記されたことは重要です。一昔前であれば、違法な長時間残業やサービス残業が書類上の証拠を残さずに行われたり、それらの原因ともなるハラスメントでは、上司が部下を心理的に強制した事実を証明するのが難しかったりしました。今では、行政の臨検監督となれば職場のパソコンのログから残業時間は克明に割り出され、ハラスメントの状況は小型レコーダーやスマートフォンで被害者が随時録音できます。まさに「論より証拠」が突き付けられ、企業側が「知らぬが仏」を決め込むことは不可能です。人事管理として実態を把握して記録し、適正手続きの証拠を残すなど、違法のそしりを受けないように備えることが必須となります。
政府が主導する働き方改革の狙いは、労働生産性を改善しその成果を働く人に分配することで、賃金上昇、需要拡大を図り、経済成長を生み出す「成長と分配の好循環」を作ることにあります。これを契機として、個々の企業でも社員の福利厚生と生産性の向上を同時に実現してイノベーションを生み出し、企業価値を上げるための働き方改革が始まっています。その中で、「これまで活かしきれていなかった女性の力を最大限発揮できるようにする」ことを意識して、高い残業削減目標を設定するなど、働き方改革と女性活躍推進の両方を総合的に進めている企業もあり、時宜にかなったやり方だと思います。
一方で、働き方改革の議論を始めたものの、社内の実態把握や社員の意識調査に着手できていない企業も多いようです。しかし、調査をしてみれば、思った以上に管理職と一般社員で働き方に関する価値感のギャップが大きい、仕事の配分に男女で偏りがあるなど、問題点がクリアになるというのが当財団担当者の実感です。
こういう時こそ、経営トップのリーダーシップで「論より証拠」を実行し、「知らぬが仏」にならないよう、具体的な情報を収集分析して課題を洗い出し、改革を進めていただければと思います。
(21世紀職業財団会長 伊岐典子、機関誌「ダイバーシティ21」2018年秋号より)