情報誌「ダイバーシティ21」2021年秋号(VOL.46)(2021/9/25発行)

【均等法&財団設立35周年記念インタビュー】

 21世紀職業財団は男女雇用機会均等法施行年の1986年に発足し、お陰様で設立35周年を迎えました。
 均等法施行前後に入社し、キャリアを歩まれた“パイオニア”世代の女性たちからのメッセージを4回シリーズでお届けします。



<第2回>鍋嶋美佳さん
      東京海上ホールディングス株式会社 執行役員
      兼 グループCDIO(Chief Diversity & Inclusion Officer)

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※所属・役職はインタビュー当時のもの(聞き手:橋本かおる(21世紀職業財団事務局長))

「アメリカで就職する選択肢もあったが、自分は何を強みとするのかと考えていました」

――1986年に男女雇用機会均等法(以下、均等法)が施行され、翌年から企業において女性の採用事情が大きく変わりました。鍋嶋さんの入社前後はどのような状況でしたか。

鍋嶋さん:当社でも、1987年から女性の総合職採用が始まり、私はその4年後の1991年入社で5期生にあたります。その年は総合職採用が448人で、そのうち女性は27人(6%)と非常に少なかったのですが、過去5年間では最も多く女性の総合職が採用されました。同期の女性は今も9人が残っています。

――アメリカの大学を出て、日本の損害保険会社に入社しようと思った理由は何だったのでしょうか。

鍋嶋さん:アメリカで就職するという選択もあったのですが、アメリカの競争社会において、自分の強みは何だろう、どこで差異化を図るかを考えました。日本人であることを強みにできるかというと、日本語ができます、日本のカルチャーが分かります、だけでは強みとはいえず、ビジネス慣習や日本の企業がどのように意思決定をしているのかを知る必要があると思ったのです。日本の企業は、女性は新卒しか採用しないという時代でしたので、日本の企業で働くなら今しかないと思いました。ちょうど大学4年生の秋にニューヨークとボストンで日本企業の合同説明会があり、いろいろな業種の企業が来ていました。大学では、国際政治専攻で地政学リスクに関心がありましたので、リスクを扱う損害保険会社を選びました。

 実は東京海上火災保険(当時)という会社をあまり知らなかったのですが、まず日本の企業でキャリアを積むことが一番の目的で、5年か10年ぐらい経験を積んだら、その経験を活かして海外を含む違うフィールドへの転職も考えていました。結局、蓋を開けたら、この会社一筋できています。

「損害保険の仕事は自分に合っていた、とてもやりがいのある仕事」

――損害保険という仕事に魅力があったということですよね。

鍋嶋さん:アメリカの大学を5月に卒業し、6月に入社しました。そのため、新人研修を受けられなかったので、保険についてまるで分からないまま損害サービス部門(事故対応・保険金支払い部門)に配属され、いきなり実戦から始まりました。

 ですが、損害サービスの仕事は自分に合っていたと思います。保険金をただお支払いするだけでなく、お客様と一緒に考えて問題を解決していく達成感もありました。お客様のお役に立てることも、とてもやりがいのある仕事だと感じていました。

 主に企業系の損害サービスを担っていましたので、石油コンビナートから町の工場、遊園地、百貨店、スキューバダイビングのインストラクター等、ありとあらゆる業種のお客様の対応をしました。その中でも賠償責任保険をメインに担当していましたので、この職業にはどういうリスクがあって、誰にどう責任があるのか、例えば、お医者さんが負っている責任と、看護師さんの責任、薬剤師さんの責任、同じ施設でも遊園地と百貨店では違うので、本当に学びが尽きなかったですね。そのように探求していくところが自分にマッチしていたのだと思います。

――お客様をお守りする大切さも実感されたのですね。

鍋嶋さん:1995年1月17日に阪神・淡路大震災が起きました。当時4年目でしたが、大阪に設置された対策室へ応援派遣されました。それまでは損害保険の意義を深く理解できていなかったのですが、このときに「損害保険というのはこういうことか」と腑に落ちて、使命感をもって仕事をするようになりました。

「入社当時は5年目男性総合職の後任として配属。女性だからと仕事を軽減されることはなかったですね」

――入社当時の職場の雰囲気や、お客様からの反応はどうでしたか。

鍋嶋さん:当時は総合職と一般職のコースがあり、一般職には制服があり、総合職には制服がなかったので、スーツで出勤する女性はすぐに「総合職」だと分かります。忘れもしないのですが、初日に着任のご挨拶に行ったら、課長がなんとも言えない、困ったなという感じで微笑んでいるのです。私がそう感じただけかもしれないのですが、5年目の男性総合職が転出し、その後に新人の私が入ったわけですね。そもそも5年目社員の後に新人が入るだけでも大変なのに、女性がきた、しかもアメリカから帰ってくるらしいみたいな話で、皆さんのどうなるんだろうという雰囲気は感じました。ただ、幸い女性だからといって仕事を軽減されるようなことはなかったですね。

 お客様のほうも、女性が交渉の場に出てくることに慣れていなかったので、驚かれることはありました。ですが、2年、3年と経験を積んでいくと、「鍋嶋さんにお願いしたい」と言ってくださるようになり、仕事に誠実に取り組んでいれば認めてもらえると思いました。今、振り返ると2年目は、先輩の伴走もなくなり、独り立ちして仕事をしながら、産休に入られた先輩の事案もカバーしていたので、質・量ともに追いつかない自分にがっかりし、大変な時期だったと記憶しています。

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