均等法パイオニア世代からのメッセージ<第2回>(2/3)

「当時の制度で最大期間の育休を取り育児に専念。フルタイムで職場復帰することにためらいはありませんでした」

――その翌年(3年目)に結婚されたのですね。いつ頃から働き続けたいと思っていたのですか。

鍋嶋さん:私の母は当時にはめずらしく四大卒で、英語の教師として4年間勤めた後、結婚を機に退職しており、母はそれを時代として受け止めていたようでしたが、その後家庭教師として英語を教えたり、英語のコールセンターで働いたり、スキルを活かしていました。そのような姿を見てきて、私は経済的に自立していると選択肢が広がり自由につながると考えていました。自由というのは別に好き放題ということではなく、他者に制約されず自己決定できる自由という意味です。女性の再就職は簡単なことではなかったので、結婚・出産しても仕事は続けると決めていました。

 1995年(5年目)の秋に第一子、1998年(8年目)に第二子の出産を機に育休を取得しました。私の育休中には新人が入り、要員補充がされていたので、罪悪感はあまり感じずに済みました。私は当時の制度で最大限の期間(子が満1 歳になるまで)の育休を取得して、その間は育児に専念したので、自分の中では気持ちに整理がついて職場復帰することにためらいはありませんでした。

――その後、2000年に神戸損害サービス部へ異動されたのですね。

鍋嶋さん:入社以来、本店という大組織の中で仕事をしてきましたし、総合職で入ったので転勤も念頭にありました。次は規模の小さい支店への配置を希望しました。異動と同時に課長代理になり、課の運営を任せてもらえたことが新たな経験でした。神戸損害サービス部は本店と比較して小さな組織です。お客様は法人から個人まで幅広く、海外旅行保険から傷害保険など担当事案を持ちながら、マネジメントも行うというのは、なかなか大変でしたが、課の運営に関われたことは大きな財産だったと思っています。

 ただ、両立は大変でした。子どもは2歳と5歳だったのですが、異動したのが7月だったので、保育園はすでに埋まっていて、同じ保育所に入れませんでした。髪を振り乱してというのはこういうことかと思いながら、毎日2カ所の保育園を往復しました。

 夫も家事を担っていましたし、実家の近くに住んでいた時は家族にも協力してもらいましたが、神戸は初めての土地で、知人や親戚は誰もいません。ですから、一からサポート体制をつくって、保育ママを頼んだりしながら、なんとかやっていたという感じでしたね。

「全員がひとつの方向に向いてモチベーション高く仕事をするのは本当に難しいことだと実感」

――2003年に米国初の女性駐在員としてニューヨークに赴任されたのですね。海外勤務は希望されたのですか。

鍋嶋さん:入社当初は、まず損害保険の仕事を覚えたくて、英語とは無縁の損害サービスの経験を積んできましたが、そろそろ海外勤務にも挑戦したいと思って手を挙げました。

 7年間駐在して、全米に進出する日系企業の事故対応に携わっていました。基本的には現地スタッフが事案を担当するのですが、日系企業の駐在員の方とコミュニケーションの波長が合わないとか日本のサービスとは違うところを埋める仕事をしていました。当時はまだ日本のお客様が期待するサービスレベルになかったですね。かなりマイペースで事務的に片付けているという感じもあったのですが、彼らにとっては当たり前のやり方でも、お客様にとっては受け止め方が違います。もっと気持ちに寄り添うようなカルチャー的な部分や賠償責任の考え方といった日本の法制度との違い等を理解してもらい、品質向上の仕組みをスタンダード化して、サービスのクオリティ向上を図りました。

 ニューヨークにいた3年間に、2部門の閉鎖に伴い、スタッフを解雇せざるを得ないという経験もしました。アメリカでは基本的にポジションがなくなると解雇は可能という雇用関係でしたが、やはりスタッフが仕事を失うのは辛い経験でしたね。部門を閉鎖すること自体はやむを得ないと判断したので、その部門のスタッフには誠意を尽くしました。

――その後ロサンゼルス勤務を経て2014年に埼玉に異動され、次長になられたのですね。

鍋嶋さん:はい、次は国内の現場のラインマネージャーを経験したいと希望を出したのです。1月の不定期異動だったのですが、翌月に関東で記録的な大雪が降り、すぐに雪害対策室を立ち上げることに。過去には何度か他部店へ応援に行きましたが、自部店で災害対策室を立ち上げて指揮するのは初めてで、常に追われている状態の3 年間となりました。自分のリーダーシップやマネジメント力の不足でお客様や代理店、営業社員に迷惑をかけたこともありました。全員がひとつの方向に向いて、モチベーション高く仕事をするというのは本当に難しいことだと実感しました。

vol46_nabeshima02.JPG

家事は省力化し、分担し、究極を目指さないが、体内に入る食品の安全性と質にはこだわりをもつ。「手の込んだことをしなくても、素材がちゃんとしていれば切っただけ焼いただけで美味しい」

――そこから2017年に再びニューヨークに赴任されましたが、鍋嶋さんの希望ですか。

鍋嶋さん:年齢的にも、今後のキャリアを考えたときにも、もう一度海外に行くのならこのタイミングかなと思い、2回目のニューヨークで2年間勤務しました。このときは現地子会社の損害サービス業務の他に、米国で買収していたHCC社とのシナジープロジェクトや、業務効率化のためにオフィス業務の一部をインドにアウトソースをするプロジェクトなどに携わりました。

次のページへ