情報誌「ダイバーシティ21」2021年冬号(VOL.47)(2021/12/25発行)

【均等法&財団設立35周年記念インタビュー】

 21世紀職業財団は男女雇用機会均等法施行年の1986年に発足し、お陰様で設立35周年を迎えました。
 均等法施行前後に入社し、キャリアを歩まれた“パイオニア”世代の女性たちからのメッセージを4回シリーズでお届けします。



<第3回>松崎真紀さん
      株式会社インフィニトラベルインフォメーション
      エアラインマーケティング部 部長

※所属・役職はインタビュー当時のもの(聞き手:小野島恵子(21世紀職業財団シニアエキスパート))

「一般職で入社しましたが、入ったら何とかなるだろうという気持ちでいました」

――松崎さんは1989年入社ですね。なぜANA(全日本空輸)で働きたいと思われたのですか。

松崎さん:入社した頃はバブル絶頂期でした。私は業界を問わず就職活動をしていたのですが、ANAが第一志望でした。当時のANAは国内で二番手の航空会社でしたが、勢いと活気のある会社だと思い、とても興味を持ちました。

 ANAでも男女雇用機会均等法施行後の1987年から、女性総合職の採用が始まっていて、私も総合職を受けたのですが、見事に落ちてしまいました。この年の総合職事務系採用約70名のうち、女性はわずか数名という、女性にとっては非常に狭き門だったのです。今は採用時の男女比率に差はありませんし、女性パイロットもいますので、時代は変わったなと感じています。

 総合職採用試験で落ちてしまったので、一度はANAへの入社を諦めたのですが、当時の採用担当者から「総合職は残念だったけれども、一般職を受けてみないか」と連絡をもらい、二つ返事で「絶対に受けます」と答えて一般職で採用されました。入ってみると配属先は人事部の採用担当で、その採用担当者が上司となりました。以来、勝手に会社に縁を感じています。

――就活当時から長く働き続けたいと思っていたのですか。

松崎さん:働かないという選択肢はあまり考えていませんでしたし、転勤も大歓迎と思っていました。私の母は80歳になるのですが、不動産会社を経営しており、今でも現役でバリバリ働いております。父も昔は、女性は家庭でと考えていたようですが、今では応援してくれています。母も若い頃しばらくは専業主婦でしたが、仕事がしたいと考えていたようで、私もそんな母の影響を少なからず受けていると思います。

「総合職に転換したものの、男性の何倍も頑張らなければ務まらないのかと葛藤していました」

――就活時の思いを実現させるため、入社6年目の1995年に総合職への転換試験を受けられたのですね。

松崎さん:一般職で入社して、入ったら何とかなるだろうという気持ちでいましたが、当時はまだ職種転換できる制度がありませんでした。入社5年目に東京支店国際旅客部に異動し、国際線の予約業務に携わっていたのですが、その時に人事部から、総合職への転換制度が新設されたことを聞きました。すぐに受けようと思ったのですが、当時は転換試験の受験資格が満28歳以上(勤続5年以上)という条件があり、1年待って翌年受けました。この試験も入社試験同様に難関の狭き門で、初年度はほとんど合格しなかったという噂でした。筆記試験と面接で幸いに受かることができ、総合職に転換しました。総合職への転換は、最初の大きな転機でもありましたね。

――総合職に転換されてから仕事や、やりがいに変化はありましたか。

松崎さん:当時、女性総合職は全社でもまだ30名程度しかいませんでした。試験に合格した時にまわりの男性から「総合職の女性は男性以上に働かなければいけないっていうことは分かっているよね?」と言われたこともあります。私ながらにすごくショックなセリフだったので未だに憶えています。当時「女性だからできることもあるのに」と思いつつも、「男性の何倍も頑張らなければ総合職は務まらないんだ」と悩んだりして、すごく葛藤しました。今思うとなぜそこまで思い詰めていたのだろうという感じですが、会社を背負うぐらいの気持ちで、深夜タクシーで帰るのが当たり前でしたね。当時は皆さんそうだったと思いますし、そういう時代でもありました。懸命に働いているうちに、数人の小さなチームのチーフとして、メンバーのマネジメントみたいなことも経験しました。

――めてチームを任されて、どうでしたか。

松崎さん:チーフという職位は管理職ではないのですが、自分よりも年上の先輩もいて、その中でマネジメントをしていくというのはすごく難しいなと思いました。一般職の女性からも「総合職でしょ」というセリフはよく聞かされていましたね。でも、このマネジメントの経験は、管理職になるための予行練習になっていたのではないかなと思っています。

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