均等法パイオニア世代からのメッセージ<第3回>(2/3)

「育児との両立はその日をなんとかやり過ごす状態で苦しかったけれども、働き続けられたのは本当によかった」

――1999年にお子さんを出産されたのですね。

松崎さん:1年4カ月の産休・育休を取得した後復帰し、育児と両立しながら仕事したことが2つめの大きなターニングポイントだったと思います。まだ時短勤務や在宅勤務等といった制度はなかったので、フルタイム勤務で復帰しました。当時は定時に帰る人なんていない時代でしたので、残業するという想定でシッターさんを雇わなければ、両立は絶対に無理でした。それが結構、苦しかったですね。ノー残業デーの水曜日だけは子どものお迎えに行くことができたのですが、あとの週4日はシッターさんを雇い、お迎えに行ってもらっていました。初めての子育てで勝手もよく分からず、最初の1年は息子もよく熱を出し、そのたびに休んでいましたので、子どものために有休を使いきっていました。休めない日は、午前中は夫、午後は私と分担したり、母や父に来てもらったりと、その日その日を何とかやり過ごすという状態で、小学校に入るまではきつかったですね。

――その後、2人目のお子さんも生まれて。

松崎さん:長男が小学校3年生のときに次男が生まれたのですが、実は、次男が生まれてまもなく夫が突然倒れて病院に運ばれました。私は出産したばかりの産褥期で、病院に一緒に行くことができませんでした。夫が救急車で病院に運ばれた後、家に残りいろいろ考えたのですが、そのときに、本当に自分が働いていて良かったなと思いました。働いていなかったら、おそらく2人の子どもを抱えて途方に暮れていたと思います。「仕事をしている私は経済的に大丈夫」と思ったら、とりあえず強くなれたのです。夫は今では普通に働いていますが、何かあるたびにこの出来事を振り返って、「働いている自分は大丈夫、次のステップを踏める」と思えるようになりました。

 昨年、21世紀職業財団の「女性部長のためのNext Step Forum」に参加したのですが、大和証券の鈴木前会長(現・大和証券グループ本社名誉顧問)が講義で仰っていた「仕事は女性にとっても大切。女性も社会の一員として経済的に自立すべき」というセリフがとても印象に残っています。ああいう言葉を言ってもらえたことが、その時の自分の思いとリンクして、すごく嬉しかったのです。

 2回目の育休から復帰した時には時短勤務制度があったので、シッターを雇わなくても両立でき、素晴らしいと思いました。長男も弟の面倒をみてくれましたし、次男の小学校入学のタイミングでフルタイム勤務に戻しました。同期の女性のうち半数ぐらいが20代~30代前半で退職してしまいましたが、同窓会のときに「辞めなければよかった」という声も聞きました。改めて働き続けられてよかったなと思いますし、支えてくれている周囲の人たちの協力なしには続けられなかったと思いますので、本当に感謝しております。

「50歳目前でこれから何ができるかを考えたときに、管理職試験を受けようと決意」

――その後、法人販売部で営業に携わり、2016年に管理職試験を受けられたのですね。このタイミングでチャレンジされたというのは。

松崎さん:「管理職チャレンジ試験」を受けようと決めた時、50歳目前でした。いろいろなきっかけがあったのですが、ひとつは私の大学時代の親友から雑誌の編集長になったという報告を聞いたことです。「私は何をしているのだろう、これから何ができるのだろう」と考えたときに、管理職試験をずっと受けてこなかったことが意識の中に浮かびました。社内には子どもを育てながら管理職になっている女性がまだ少なかったこともあり、自分は子ども2人を抱えて、時間的な制約のある中で管理職は務まらないのではないか、自分には無理だろうと私の中で勝手に決めつけていたのだと思います。50歳を目前にして、タイミング的には今やらないと次はない、と決意しました。もうすでに遅いかもしれないと思いつつ上司に伝えたところ、上司は全面的に賛同してくれました。

 管理職チャレンジ試験は筆記試験プラス面接で、20分の面接のうちプレゼンを10分間行うという内容でした。何をプレゼンしようかといろいろ悩んだのですが、テーマを「なぜ私は50歳になるまで管理職試験を受けなかったのか」として、時間の制約や責任という視点で、将来的に自分と同じような女性が躊躇せず管理職にチャレンジできるような会社にしなければ、という内容で発表しました。試験は無事合格することができました。合格したことを子どもたちに伝え、これから忙しくなるかもしれないから協力してほしいという話をしたら、「すごいね、頑張れ」と喜んでくれたことが嬉しかったです。翌年から課長に就任しました。

管理職チャレンジ試験では、面接官に「私みたいな人でも管理職になれるという見本としてちょうどよいと思います」とアピールしたそう。「それがよかったのかも」と松崎さん。

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