均等法パイオニア世代からのメッセージ<第4回>(2/3)

「一緒に取り組んでくれる仲間と開発チームを立ち上げ、新しい技術を受け入れてもらうためのルートを時間をかけて自ら開拓」

――その後、ジェットエンジンのシステム電動化の実現に向けて、開発に注力されたのですね。

森岡さん:これも当社にとっては新しい試みでした。「本当にそんな技術は使われるのか」という議論が湧き起こるぐらい社内でもなかなか受け容れられず、とても苦労しました。

 それでも、一緒に取り組んでくれる社内外の仲間と開発チームを立ち上げました。我々の技術は多くの企業と協力して飛行機として完成させて、エアラインに納めて初めて活かされます。例えばエアバス社やボーイング社が大手機体メーカーの二大巨頭ですが、我々の技術を活かしてくれる企業は海外に多く、どんな技術もそれらの企業と一緒に取り組まなければ、世の中に出ていかないのです。

 ですから、技術開発を行いながら、外に向かって新技術を発信するために社外の企業や研究者たちと多くの議論を重ねました。それも今までにはなかった経験です。それまでは、会社としてプロジェクトが立ち上がって、そのプロジェクトの中で一部の担当を担って仕事をしていたのですが、新しい試みとなったこの技術開発はそもそもプロジェクトにもなっていないわけです。まず、どういう技術であるかを論文に書いて国際学会で発表する、ということも集中して数年続けました。そうすると、「なんか面白いことをやっているな」と反応してもらえ、海外のさまざまな方々と知り合いになることができるのです。そういうルートを自分で見つけて開拓していきました。

 学会には大手の機体メーカーの技術開発に携わっている方も来ています。彼らを掴まえて何度も話しかけていくうちに、「面白いことをやっているようだから、一度説明しに来てくれるか」と反応してくれるようになって、話を聞いてもらえるようになりました。もちろん、一度だけでコネクションはできませんが、しつこく数年かけて伝えていくうちに、だんだんIHIの挑戦している技術の面白さが伝わって、「一緒に開発してみよう」と声がかかるようになってくるのです。その一連のプロセスを踏むことができたのも滅多にできない経験でした。

「誰も太刀打ちできないような全く新しい技術をとの思いが、新技術の開発につながっています」

――先見の明があって、熱い思いで開発に携わってこられたのですね。当時はなかなか認められなかったり、不安に思ったりすることもあったかと思いますが、その時のモチベーションの原動力は何だったのでしょうか。

森岡さん:エンジンのシステムを電動化することにより、“人と地球にやさしいジェットエンジン”を実現、つまり燃費を削減し、地球環境負荷の低減に貢献したいと思いました。今は気候変動への対応、そして省エネ・脱炭素への動きが急激に加速し、航空業界もCO2排出削減のために世界中あらゆるアプローチで技術開発に取り組んでいますが、少なくとも当時の日本でそれを声高に言っている人はいませんでした。

 そういう時代でしたが、それでも将来、絶対にCO2は減らさなければいけないし、それが地球環境にやさしくすることでもある。さらには飛行機に乗る人、使う人、みんなにとって便利で、使いやすくて、安心・安全な飛行機、そういうものを技術で実現したいと強く思っていました。

――“人と地球にやさしいジェットエンジンの開発”というテーマに行き当たったきっかけは何だったのでしょうか。

森岡さん:実はこの開発を始める前に、当社の航空の事業としては初めてでしたが、エンジンを制御するための機器を単独で海外のエンジンメーカーに外売りするというプロジェクトを担っていました。先輩方が何年もかかって苦労してやっと事業化を実現したプロジェクトで、立ち上げを担ってこられたプロジェクトマネージャ(プロマネ)が定年退職を迎えるときに「あとは頼んだ」と託されて、私がプロマネを引き継ぐことになりました。

 ですが、引き受けて半年もしないうちに、この事業から撤退するという局面に立たされました。コストや投資回収の面で事業性が成り立たないという判断が会社の上部でなされたのです。苦労して立ち上げたプロジェクトで、すでに製品も完成していましたし、工場での生産や出荷も始まっていて、多くの人がこのプロジェクトに携わっていました。それにもかかわらず、プロマネを引き継いだ途端に、部品から設計権から全部売って清算しなくてはならない、という事態になったのです。どうにかしてそれを食い止めようと、この事業を続けることの価値についてプロジェクトチームのみんなで一生懸命考えて、幹部に説明したりして頑張ったのですが、結局、その事業への判断は覆らず、撤退せざるを得ませんでした。

 私はプロマネとして、みんなの前で頭を下げて「申し訳ありません。撤退です。力不足ですみませんでした」と伝えました。本当に悔しかったですね。今まで一生懸命やってくれた仲間たちの思いをどうしたらいいのだろうと1~2週間ぐらい落ち込みました。

 でも、落ち込みながらも、違うことをやらなければ駄目なんだとの思いが、そのあとのエンジンシステム電動化への開発につながっていきます。誰も太刀打ちできないような全く新しい技術を創造していかない限りは、この世界で仕事はできないのだろうと思ったのです。何をやろうかといろいろ調べていくうちに、世界の動きがなんとなく見えて、「日本では誰もやっていないかもしれないけれど、これは誰かがやらないといけないのではないか」との思いに至りました。そういうきっかけがなければ、おそらくそこまで、こんな思いを持ってやっていなかっただろうと思うのです。

「ああでもない、こうでもないとやり合って、いっぱいリアクションをもらえる技術屋同士の議論はすごく面白いですね」と、仕事の醍醐味を語ってくれた。

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