【随想】

ドアを開ければ


 最近職業キャリアの世界で、「回転ドア」(revolving door)という言葉が注目されるようになっています。特に官公庁と民間企業を行き来して仕事をするようなキャリアの積み方について使われ、これによって官公庁は民間が持つ最先端の技術やトレンドの情報を得ることができ、民間企業でも官公庁の業務展開の仕組みや課題を把握して自社の事業運営を円滑にすることができるというメリットがあるといわれます。

 私は人事院で官民人事交流制度に関する審議を行う交流審査会の委員を務めていますが、各省庁が、機動的かつ的確な政策運営をしていくため、企業出身者の知識・経験を以前より強く求めるようになっていると感じます。年限を限った交流だけでなく、デジタル庁の発足を契機として、学卒試験採用以外のチャンネルで企業での経験を積んだ人材を官庁に採用する動きも活発化しています。

 ところで、revolving doorの意味自体はもう少し幅広く、人材が異なるフィールドの間を頻繁に行き来することを表しているようです。例えば、金融デリバティブについての理論的発展に貢献したフィッシャー・ブラック(1938-1995)は、応用数学でハーバード大学から博士号を受けた後、コンサルティング会社に職を得て金融工学に触れることになりました。そのあと学者に戻って大学で教鞭をとりつつ研究を進め、同じく大学の研究者であったマイロン・ショールズ(1941-)とともに金融経済学における三大成果の一つといわれるブラック-ショールズ方程式(1973)を考案しました。さらにそのあと世界的な金融企業グループであるゴールドマン・サックスに転じました。

 このように学会と実業界を行き来する人材の存在もあって、金融デリバティブは理論と実践が一体となって発展したといわれています。このようなキャリアはこれまで日本ではなかなか実現しにくかったと思いますが、企業経営においてイノベーション、多様性が重視され、ジョブ型の中途採用が広がっていく中で、今後は可能性が増大していくものと期待しています。

 ただし、異なるフィールドの間の回転ドアが日本で機能する大前提として、そもそも企業内部における採用区分の間のドア、仕事内容や経営中枢との距離が異なる部署間のドアが開かれている、それも社員自身の意欲、能力に応じて、いわば「叩けよ、さらば開かれん」の状態になっていることが大変重要ではないかと思います。

 日本では長い間これらのドアが閉ざされていたり、本当は開けられるはずなのに開けにくい状態が続いていたのではないかと思うからです。一方で、働く個人の方も自分の可能性を広げるようドアを叩き、場合によっては開けにくいドアを押し開けて、別の世界にチャレンジする気概を持つことも重要だと感じます。ドアを開けた先の世界に希望や期待が持てるような人事システム、労働市場システムをつくっていきたいものです。

(21世紀職業財団会長 伊岐典子、機関誌「ダイバーシティ21」2023年春号より)

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