【特別鼎談】ジェンダーに関する裁判例の変遷と 社会に与えた影響(2/4)

長期化する裁判の問題を見直すため司法制度改革が進められた

伊岐:兼松賃金等請求事件は平成21年に最高裁で上告が棄却されて確定していますが、昭和シェル石油(賃金差別)事件も賃金差別について最高裁まで争われていますね。

櫻井:私は平成20年9月に最高裁の裁判官に就任しました。毎年、6,000件ぐらいの民事事件・刑事事件が上告、上告受理申立て等により最高裁に上がってきます。それを3つの小法廷に分け、1つの小法廷あたり2,000件ほどを担当するのですが、そのうち約95%は持ち回り審議あるいは書類審査と言って、調査官から意見をまとめた書類が回ってきます。それを各裁判官が読んで結論をまとめるというやり方を取っています。残りの約100件については、1つの小法廷を構成する5人の裁判官で週1 の合議を行います。
 就任してすぐに担当したのが昭和シェル石油の裁判です。会社が昭和60 に合併した際、同じ条件で入社した男性と女性の格付けが明らかに異なっていたというものです。地裁も高裁も女性差別と認定して、数千万円の損害賠償請求を認めました。
 その後、双方上告で最高裁に上がってきたので、この問題について審議事件にしました。支給されるべき年金額を損害としてどこまで入れるかについて議論した記憶があります。まだ支払われていない将来の見込みを損害というわけにはいかないので、裁判の時点までにもらえなかった年金の差額という高裁の判断を支持し、双方上告を棄却した記憶があります。

伊岐:平成15年の地裁、平成19年の高裁、いずれも労働者勝訴で、平成21年の最高裁決定で確定したのですよね。出訴の時点で採用、配置、昇進などの男女差別を禁止する均等法の改正は行われていますが、当事者は改正前に雇用されています。裁判では、均等法改正後の昇格について男女の差別禁止がなされている法的状況を前提に判断がなされたということなのでしょうか。

櫻井:確かに判決時点ではすでに均等法で差別禁止になっていましたが、行為時点ではまだでしたから、女性を差別してはいけないという公序の考え方からの判断となりました。

伊岐:この事件も含め、平成の半ばぐらいまでは、出訴して第一審の判決が出され、その後の上訴手続きを経て確定するまでの時間がとても長かったように思います。原告の人数が複数だったことも時間がかかった要因のひとつだと思うのですが。

本田:労働事件では、第一審判決までに10年近くかかったものもあります。伊岐さんがおっしゃるように、原告が複数人いる場合は、各原告の勤務状況や人事評価、比較対象となる社員の昇給・昇格の状況等、かなり詳細に認定がなされており、おそらく証拠の提出もかなり大変だったのではないかと、判決文を読んで思いました。

櫻井:昭和シェル石油の場合も、地裁で9年ぐらいかかっています。一般的に、会社側の資料提供がなかなか進まずに非常に時間がかかる場合が多かったのですが、今は文書提出命令制度や訴訟提起前の訴訟資料請求制度の活用により資料収集にかかる時間の短縮が期待されます。加えて、司法制度改革の流れで平成15年に裁判の迅速化に関する法律が制定され、地裁は2年で判決決定を出すようにという条文が加わりました。最高裁の事務総局も、その条文に基づいて2年以上経っている事案について指導することになっています。会社側もこれまでの裁判例を踏まえて、時間をかけても結局、辿り着くところは同じだと気づくようになったのではないでしょうか。
 もうひとつの理由としては、膨大にある民事事件に比べて労働問題の訴訟は割合として非常に少ないことです。そのため、地裁では労働問題に不慣れな裁判官が担当することもあり、長期化の一因にもなっていたようです。労働審判制度が始まってからは、若手の裁判官が地裁の労働審判の審判官を担当して、労働分野の争点について経験を積むことができるようになり、期間の短縮化が進んだのではないかと思います。

本田:従来は、証人尋問は予断を持たずに行うことに意義があるという考えが支配的でした。主尋問に一期日、2カ月後に反対尋問が一期日という感じで、何期日もわたって証人尋問が行われており、そうした進行も審理を長引かせる一因だったと思います。現行の民事訴訟法の施行後は、証人が供述する内容を事前に陳述書として提出し、肝心なところだけを尋問で確認するというやり方が浸透し、訴訟の進行に関する認識がすごく変わったと思います。

セクハラについて防止の配慮義務までの道のり

伊岐:定年や賃金・昇格差別以外でも、様々な判例が女性労働に関する課題を認識するきっかけとなっています。セクシュアル・ハラスメント(以下、セクハラ)に関してリーディングケースとなった裁判が、キュー企画損害賠償請求事件です。提訴されたのはちょうど平成元年で当時は大変な話題になり、「セクシャル・ハラスメント」という言葉が流行語大賞にもなりました。この提訴後に当財団で発足した「女子雇用管理とコミュニケーションギャップ研究会」では、職場におけるセクハラの概念が整理されました。この概念に関する議論を経て、平成11年4月には均等法においてセクハラ防止の配慮義務規定が施行されました。裁判からかなりの時間はかかりましたが、この裁判がきっかけとなってセクハラ防止に対する議論が進んだと言えます。

転居を伴う配置転換についてワーク・ライフ・バランスの観点が加わった

伊岐:配置転換についても見ていきたいと思います。昭和61年の東亜ペイント事件※2の最高裁判決により、企業の配置転勤命令は、通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を与える場合等を除き権利濫用にあたらないという判例法理が形成されていました。その後の動きを本田弁護士からお願いします。

本田:ケンウッド異動命令無効確認等請求事件は、共働きで3歳のお子さんがいる女性社員への配置転換に関して最高裁まで争われました。都内本社勤務の女性に八王子事業所への転勤命令が出て、それに従わなかったことで懲戒解雇となった事件です。原告は「転勤先に転居すると共働きの夫の通勤が長時間となる等の不便が生じ、転居しない場合は原告の通勤が長時間となり子どもの保育園の送迎等に支障が出る」等の主張をしましたが、八王子に転居しない場合の通勤時間は2時間に至らないこと、八王子近辺には入居可能な住居が多数あり、複数の保育園に空きがあるほか、夫の通勤時間も1時間程度であることを事実認定した上で、地裁、高裁、最高裁のすべてで原告のいう転勤による不利益は、通常甘受すべき程度を著しく超えるものではないと判断されました。

伊岐:結果的に労働者敗訴となった裁判でしたが、平成12年の最高裁判決の後、翌年の平成13年には育児・介護休業法(以下、育介法)第26条に「就業の場所の変更により就業しつつその子の養育又は家族の介護を行うことが困難となることとなる労働者がいるときは、当該労働者の子の養育又は家族の介護の状況に配慮しなければならない」という条項が入りました。転居を伴ったり通勤時間などに大きな変更をもたらす配転が、子育てをしながら働き続けることへの障害になることについての認識を広げるきっかけのひとつになったのだと思います。

本田:ネスレジャパンホールディング配転拒否事件では、広域異動について争われました。原告は2人おり,いずれも男性です。1人は妻が精神疾患を罹患していて単身で生活できる状況にないという事情があり、もう1人はパーキンソン症候群で認知症の実母の介護をしているという事情がありましたが、裁判ではケンウッドとは異なり、転勤による不利益は、通常甘受すべき程度を著しく超えるという判断になりました。

 この裁判では、すでに育介法第26条が施行されていたので、会社が労働者の家庭の状況を汲み取って配慮したかという点でも十分ではないと、条文についても言及しています。
 その後、平成20年3月に施行された労働契約法第3条の3項で「仕事と生活の調和への配慮」が労働契約の基本理念として規定されたほか、社会的にもワーク・ライフ・バランスの重視が浸透しており、今後は裁判所もその観点で判断していくのではないでしょうか。

本田敦子氏

※2 東亜ペイント事件(昭和61年7月14日最高裁判決)……高齢の母親、保育所で働く妻、娘とともに大阪に在住し神戸営業所で主任として勤務していた原告に対する名古屋営業所への転勤命令拒否を理由とする懲戒解雇につき、本件における単身赴任となる生活上の不利益は、転勤に伴い通常甘受すべき程度のもので、本件転勤命令は権利濫用にあたらないとして、原審を破棄・差戻した事例。
 

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