【特別鼎談】ジェンダーに関する裁判例の変遷と 社会に与えた影響(3/4)

妊娠、出産、育児で不快な思いをさせられていた女性たちの感情が一気に掘り起こされた

伊岐:ワーク・ライフ・バランスに関しては、Y生活協同組合(地位確認等請求)事件も大きな話題になりました。この裁判については、最高裁で櫻井さんが裁判長を務められましたね。平成19 年施行の改正均等法で禁止が法制化されていた妊娠・出産及び妊娠・出産に関する労働基準法等に基づく権利を行使したことを理由とする「不利益取扱い」についての判決でした。ところが、この最高裁判例は出されてすぐ、「マタハラ判決」と呼ばれるようになりました。翌年の平成27年には、マタニティハラスメント防止に向けて、次期通常国会において法的対応も含め事業主の取組み強化を検討する旨の政府方針が打ち出されました。そして、平成29年1月には関係法律が改正施行され、マタニティハラスメント防止の措置義務規定が追加されました。なぜ「マタハラ判決」だったのでしょうか。

櫻井:これは妊娠に伴う軽易業務転換を理由とする不利益取扱いに関する判決なのですが、新聞各紙のトップ記事で「マタハラ判決」と見出しが出たので、私も驚きました。最高裁の立場ではマタハラという言葉を使っていないので、おそらくマスコミが分かりやすい一般受けするような言葉にしたのではないかと思っています。不利益取扱いも広く言えば妊娠した女性に対する嫌がらせのひとつと位置づけられないこともないとは思います。

伊岐:この最高裁判例がマタハラ判決だと言われたことが、ひとつの契機となってハラスメント防止についての迅速な制度改正がなされたと私は思っています。一方で、法令の取扱いは不利益取扱いとハラスメントで全く異なります。ハラスメントは行為が直接禁止されるのではなく、防止するための諸条件を整備することが事業主の義務であるのに対し、不利益取扱いは直接禁止されており、その行為そのものが司法に問われることになります。

櫻井:最高裁では今までの判例になかった「不利益取扱い」の外縁をきちんと判断しました。法理判決※3と言うのですが、最高裁の判決で法理をきちんと打ち出したことがとても重要だったと言えます。この最高裁の判決を受けて、厚生労働省からも「妊娠・出産、育児休業等を『契機として』不利益取扱いを行った場合には、妊娠・出産、育児休業等を『理由として』不利益取扱いを行ったと解され、均等法第9条3項に該当する」と通達されています。
 現実に、妊娠した女性が職場で嫌がらせを受けたり、苦しい立場にいたり、という事例が山ほどあったからだと思います。この裁判で妊娠、出産、育児に関して不快な思いをさせられていた女性たちの感情が一気に掘り起こされ、マタハラという言葉が広がり、火がついたのでしょう。さらにはマタハラを問題視するグループなども盛り上がり、均等法と育介法に防止措置義務を加える動きになったのです。そういう意味ではこの裁判が法改正のきっかけにはなったと思います。

ハラスメント行為者に対して相当な処分への判断が重要

伊岐:ハラスメントと言えば、K館事件も櫻井さんが最高裁で関わられた裁判ですよね。

櫻井:裁判長ではありませんでしたが、均等法にセクハラの配慮義務規定が入ったときの担当局長だったこともあり、議論をリードして進めていきました。
 この裁判は、課長代理の職に就いていた男性2人が複数の派遣の女性従業員に対してセクハラ言動を行ったというものです。被害者の女性のうち1人が辞めると同時に申告したことから、館はその申告に基づいて調査を行い、男性2人に懲戒処分をしました。男性2人がその処分を不服として争った裁判です。
 地裁では懲戒処分は有効との判断でした。しかし高裁では、2人が一定のセクハラ言動を行ったことは認定するのですが、女性たちから明確な拒否の姿勢が示されていなかったこと、そして館側が事前にセクハラ言動を止めるよう警告や注意等をしていなかったことを考慮して、男性2人への処分は重きに失し、懲戒権の濫用として無効であるという判断をして、地裁の判決を覆しました。
 館はセクハラ禁止規定をきちんと定めていて、研修を何回も行い、この課長代理の男性たちも参加していました。また、事件が起きたあとは、就業規則等に則って当人たちの弁明を聞き、セクハラを受けた人たちの話も聞いた上で、1人を30日の出勤停止、もう1人を10日の出勤停止という処分を下しています。

伊岐:出勤停止、しかも30日という期間は、結構厳しいですね。

櫻井:さらには審査会も開いて、課長代理から係長への降格処分を行っています。出勤停止期間、それから降格による彼らの賃金が減った分を合わせると年間でそれぞれ100万円を超える相当な金額になりますが、企業は自らの企業秩序や職場規律を維持するために、慎重に判断して懲戒処分を行うわけですから、企業の自主的な判断をまず尊重すべきではないかという考え方が根底にはあります。最高裁の判決は全員一致でした。
 じつは、この事件のセクハラ言動があまりにもひどく下品だという声も上がるほどで、どこまで具体的に判決文に記載するかという議論もありました。ですが、「高裁の判断を覆して処分は有効だと理解してもらうためには、やはり言動を全部書かなければいけない」と判断しました。別紙にすべて書き出した上で、館側は規則に則って処分をしたのであるから、問題はなく有効であったという結論を出したのです。

伊岐:本件は、身体的接触のない言葉のハラスメントですが、館は長期間の出勤停止をかけた上に、降格もしています。ハラスメントを起こした当事者に対して、きちんと懲戒処分をしなければいけないと示されたこの判決は大きな意義があったと思っています。特に大企業においてはレピュテーションコストの観点からも、しっかり行為者を処分するという意識がだいぶ広がってきましたよね。
 

本田:裁判では、その処分が相当かどうかの判断がポイントになると思います。身体接触を伴うセクハラは一般的に重い処分になりますが、言葉だけで出勤停止というのは、館も相当考えたのではないかなと思います。この事件では、行為者が管理職の立場だったことも事情としては大きかったと思われます。

伊岐典子

櫻井:そうですね。管理職の立場でなければ、少なくとも降格処分はなかったかもしれません。この場合は2人とも課長代理で、むしろセクハラを防止する立場に立っていて、セクハラ研修も何回か受けています。それにもかかわらず、立場の弱い派遣の女性従業員に対して1年にわたってセクハラ言動を続けていましたから、行為としてそれほど軽くないという判断になりました。
 それからもうひとつ、ここはとても人気のある水族館で、お客様の約6割が女性です。子どもも訪れるような場所で、セクハラを行った男性が2人もいた事実を非常に重く受け止めたのだと思いますね。おそらくここで厳しく処分をしなければ、人気にも影響するだろうと思われたのではないでしょうか。

※3 法理判決……該当事案だけでなく、他の同様の事案についても通用する一般的な法理を示したもの。
 

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