【随想】

男女雇用機会均等法 成立40年


 男女雇用機会均等法は、1985年5月17日、国会で可決、成立しました。今年で40周年を迎えます。

 均等法成立の前年、1984年4月に労働省(現在の厚生労働省)に入省した私は、男女平等法制化準備室に配属され、均等法の国会提出準備や国会審議のサポートの仕事を経験しました。学生時代には、就職を除いては男女差別をほとんど感じることのなかった私は、当時の財界や政治家に男女平等法制化に反対の声が強いことにまずとても驚いたことを覚えています。
 審議会における労使の意見の隔たりはとても大きく、最初の均等法は、募集・採用、配置・昇進については差別禁止ではなく努力義務規定とする、同時に改正する労働基準法の女子保護規定は少しずつ見直すなど、労使の意見の間をとって作りあげられた法律でした。

 その後の男女平等・女性活躍の歴史は3つの時期に分けられると考えています。
 第1期(1985年~2000年頃)には、均等法施行後、男女別募集採用など形式上明白な男女差別の解消が進み、女性総合職も少数ですが採用、活躍を始めました。しかし、企業や地域の組織文化、意識、働き方は以前のままであったため、女性の活躍は一部に限られる時期が長く続きました。バブルが崩壊し日本経済が厳しく就職氷河期に入ったこともマイナスの要素となりました。

 第2期(2000年頃~)には、企業の女性活躍が始まりました。1997年の均等法改正では、募集・採用、配置・昇進を含めて差別が禁止され、セクハラ防止に関する規定やポジティブアクションに対する国の支援も盛り込まれました。労働基準法の女子保護規定も解消されました。経済状況の好転などもあり、女性の採用・活用を本格的に始める企業が増えました。2006年には均 等法の2回目の改正(男女双方の差別禁止、間接差別の禁止など)が行われました。

 第3期(2015年~)には、女性活躍・ダイバーシティが本格化します。2000年代初頭から本格的に女性の採用を始めた企業において、女性社員の人数が増え出産育児期を迎える社員も増えたことから、育児期を経ても女性が活躍する方策が求められるようになりました。2015年の女性活躍推進法の成立も企業の行動に大きな後押しとなりました。また、「女性」という視点だけでなく、「経営戦略としてのダイバーシティ」を進めることの重要性が理解されるようになったことも大きな影響を与えました。

 このように、均等法成立後の40年間、法律の進展と社会・職場の意識・行動変化は相互に影響を与えながら進み、日本の職場における男女平等、女性の活躍が進んできました。しかし、国際的にジェンダーギャップ指数の順位を見ると2006年の80位(115か国中)から2024年の118位(146か国中)と下がってきています。残された課題である女性リーダーの少なさ、男女間賃金格差、それらの背景にある職場風土・働き方などにスピードアップした取組みを進めていく必要があるで しょう。多彩な力が活きる社会の実現に向けて財団は積極的にサポートしてまいりたいと思っております。

(21世紀職業財団会長 定塚由美子、情報誌「ダイバーシティ21」2025年夏号より)

前のページに戻る