【随想】

赤松良子さんを偲んで


 先月、当財団の元会長でもいらっしゃった赤松良子さんが急逝されました。94歳というお歳ではありましたが、直前までとてもお元気でしたので大変驚き、喪失感がなお続いています。

 赤松さんに初めてお会いしたのは、1984年、私が労働省に採用され男女平等法制化準備室の新人係員として仕事を始めた時でした。赤松さんは、労働省婦人少年局長として均等法案の審議会への諮問答申、国会提出に向けて、経営者側と労働者側の主張に大きな 隔たりがある中で奔走しておられる最中。両サイドの主張を踏まえてなんとか作りあげられた法案は、差別禁止規定は一部にとどまりほとんどが努力義務規定だったため、一部の女性団体からは強い反発を受け、労働省の建物の前で連日抗議が続けられていました。

 それまで共に婦人労働問題に取り組んできた友人たちに反対の声を上げられ、国会審議では辞職まで促されましたが、赤松さんは、とにかくこの法案を成立させ、女子差別撤廃条約を批准するという強い意志で均等法成立にこぎつけました。本当はご本人こそ強い効果のある法律をつくりたかった。でも、「小さく産んで大きく育てる」と言われていました。私も1年生ながら、赤松さんの理想に向かいどんな苦難があっても一歩ずつひるまずに進んでいく姿に、強い感銘を受けました。

 赤松さんは、いつも、とても楽しい話をしてくださり、チャーミングな方であると同時に、懐が広く「豪放磊落(ごうほうらいらく)」という言葉がぴったりの方でした。ワインなどのお酒が大好きで、シャンソンを歌う店にも連れて行っていただきました。退官後も役所だけでなく民間も含めて若手女性の育成に力を入れ、女性向けの講演を頼むといつも喜んで引き受けてくれました。そのお話がまた面白く、多くの女性が人柄に惹きつけられていました。

 21世紀職業財団(旧女性職業財団)は、均等法を社会に浸透させるために、役所だけでなく経済界、企業の方々に取り組みを進めていただくために1986年に均等法施行と同時に設立されました。また、赤松さんが会長をつとめられていた1993年に「21世紀職業財団」という現在の名称に変更されています。赤松さんは「均等法の母」であるとともに当財団の母でもありました。

 赤松さんは「男女平等の実現のための長い列に加わる」という言葉をよく使っておられました。私たちも、これからもこの長い列に加わり、企業や法人の方々と一緒にダイバーシティの実現を目指していきます。赤松さん、見守っていてください。

(21世紀職業財団会長 定塚由美子、機関誌「ダイバーシティ21」2024年春号より)

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