女性交流会 実施報告

第13回 明日のビジネスを担う女性たちの交流会 in 大阪

<開催日時>2025年9月9日(火)15:00~16:30
<開催形式>Zoomでのオンライン開催(関西事務所主催)

 


 今年度もオンラインで開催し、160名にご参加いただきました。女性役員3名をパネリストにお迎えし、弊財団関西事務所長の佐野由美のコーディネートで、パネリストが成長を実感できた経験や、どのような思いで役員にチャレンジしたのかなど具体的なエピソードを熱く語っていただきました。参加者からは、一歩先のキャリアを歩むためのエネルギーをいただいた、という声がたくさん寄せられました。

大阪交流会

当財団 関西事務所長 佐野由美

■パネリストからのメッセージ

鈴木 明子 氏(東レアルファート株式会社 取締役 経営管理部門長)
 

 1989年に東レに入社し、情報システム部で9年間システムエンジニアとして従事しました。当時は卒論も手書きでしたので、四苦八苦しながらシステム開発に携わりました。34歳の時に大阪の労働組合専従となり、女性初の書記長に任用されました。2006年に現在のUAゼンセンに、さらに国際産業別労働組合の日本支部に副事務局長として社外出向し国際会議にも出席しました。

 大きな転機となったのは2009年。東レを退職し、東レ出身の国会議員の秘書、その後総務省で大臣政務秘書官に任命され、総務省や国会での勤務となり未知の世界を経験。2012年に東レに復職し安全保障貿易管理業務を担当、2016年に現職の東レアルファートの管理部長、2024年に取締役に就任、経営の立場で会社の運営を担う重責を感じております。

勝山 秀美 氏(KNT-CTホールディングス株式会社 執行役員 社長室部長)

 

 社会人になって2年間は、30人ほどの会計事務所に勤務し経理の基本を学びました。1992年に近畿日本ツーリストに転職し、旅行販売現場の経理を経て本社の経理に携わり、その後、経営戦略部門に異動し、現在はホールディングスで経営戦略担当の執行役員を務めています。

 いろいろな経験をした中で忘れられないことが三つあります。一つ目は、販売現場時代にお客様対応で顧客接点を経験したこと、二つ目は経理時代に大きなシステム改修のプロジェクトに参加してとても勉強になったこと、三つ目に、これも経理時代ですが、会社業績が思わしくなく組織や構造改革が続く中で、会社の業務フローや経理処理の変更、シミュレーションといったことに振り回された経験が、すごく頭の中に残っていて、それは今の仕事にも生かされています。

 現在はグループ会社の役員や監査役も兼務し、幅広い事業を勉強中です。

中西 陽子 氏(日本新薬株式会社 執行役員 人事部長)
 

 1994年に入社し、開発部に配属され自社創薬品の承認申請など重要な仕事に携わりました。2000年には東京に転勤し、品質管理を担当、縁の下の力持ちとして尽力しました。

 当時、わが社では女性の転勤はほとんど例がなく、このときに出産・育児も経験しました。いつか必ず本社に戻り一人前の開発部員になるんだ、という思いを持ち続け、2013年に本社の開発部に戻ることができました。

 入社後22年間、開発部に在籍していましたが、2016年に研開企画部に異動となりました。開発部の世界が大きな流れの中の一つであって、私はその一端を担っていただけ、言わば「井の中の蛙」だったということを思い知らされました。2023年に人事部への異動が発令された時は驚き、すごく悩みましたが、転勤、育休、他部門異動といった経験を社員のために役立てていきたいと思っています。


■成長を実感できた経験、一皮むける経験■

  •  大学卒業後、一般職として入社しました。その当時は、総合職は男性、女性は一般職の枠組みでした。一般職であれば部署も変わらない、転勤もないのですが、別の仕事もしてみたいと思い総合職に転換しました。総合職になった途端、東京に転勤となり新たな仕事も経験し成長を実感しました。その後経験した労働組合書記長の仕事は、組合員の声を聴くことが何より大切です。様々な意見に耳を傾けたり、個別の相談に応じたり、さらには色々な場面で意見を述べたり、交渉すること等を通して、説明力やコミュニケーション力がかなり鍛えられたんじゃないかなと思います。【鈴木氏】
  •  研開企画部の5年間は、業務範囲が広い、裁量も大きい、関係者も多い、要求事項も高い、といった感じで、自分の実力以上の仕事を与えていただきました。薬剤によっては自社だけで承認申請できるものではなく、競合他社、厚生労働省とも調整が必要でした。それぞれの思惑がぶつかり合う中で、患者さんのためになることを最優先としつつも、自社の利益を最大化できるような形で帰着させるのに苦労しました。これが一番成長を実感できた経験です。要求事項が高い分、精神的にも辛い時期がありましたが、その分成長できたと思います。【中西氏】
  •  成長の手前には必ずどん底があると思っています。一番悩んだのは45歳で経理から、経営戦略への異動した時です。入社以来、経理系の仕事にずっと携わってきたので、難しそうな経営戦略への異動に困惑し、どん底に陥りました。これが30代ぐらいの、脳みそがキレキレの時であれば、切り替えもその後の成長も速いと思いますが、45歳での異動ということで、実際、何を求められているのかも、ミッションもわかりませんでした。だからこそ、かえって誰に遠慮もせず行動に移そう!と切り替えることができたのだと思います。このような修羅場の経験は、今の仕事にすごく生かされていると実感しています。【勝山氏】

■キャリアに好影響を与えてくれた人■

  •  お二人いて、まずお一人目が、新入社員の頃、システムを担当していて難しくて分からない時に、ベテランの男性の方が「しんどいと思うけど3年は頑張れ!楽しくなってくるよ」とアドバイスいただきました。後々考えると、「3年は頑張ろう」って思い今に至るまで頑張れています。もう一人は、労組役員時代の上司から「自分の今のステージではなくて、もう一つ上の職責の視点から考えなさい」と言われたんです。実際に課長に昇格した時に「もっと上の立場だったらどうするだろうか」と広い視野から考えるようになりました。いまは取締役ですが、「社長だったらどう判断するだろうか」と考え行動するように心がけています。【鈴木氏】
  •  私の場合は、頼もしい後輩たちから良い刺激とプラスの影響を受けています。かつて、私は家事とのバランスを考慮し、管理職や役員を目指してたわけではありませんでした。いろんな経験を重ねるうちに判断力も養われ「もっと自分から積極的に経営に参画しなくては」と思うようになりました。難しいかもしれないけれど、上のポジションにアタックしてみようと思ったのは、5つ、6つ若い後輩たちが子会社の社長などの重要ポストにチャレンジをしている姿を目の当たりにしたからなんです。このような頼もしい後輩の姿を見て、私も前向きに何かにチャレンジしなきゃいけないと気持ちを奮い立たせています。【勝山氏】

■どのような思いで役員にチャレンジしたのか■

  •  東レ本体は、現段階では社内登用の女性役員はいませんが、関係会社では私を含めて4名が取締役に登用されています。東レアルファートで取締役に就任する前に管理部長という立場で全ての事業管理を社長と共に詰めていく仕事を担っていました。そのような経験が会社経営を担う立場になるための動機付けになったと感じています。【鈴木氏】
  •  役員になりたいと言い続けてきたわけではなく、むしろ辞令を受け止めて、腹をくくったというのが私にとってのチャレンジになります。日本新薬の役員や管理職は男性が多くを占めますが、「性別にかかわらず女性を登用していこう」という大きな流れの過渡期にあります。大変戸惑ったものの、この流れを切ってはいけないという思いがあり、チャンスを与えられた時に、そのまま受け止めて、加速させたいと思いました。【中西氏】

■女性の社内登用を阻む要因■

  •  結婚後に転職したので、採用面接の際に「子どもが生まれたらどうするんですか?」と、バンと言われたのはちょっとショックでした。でも、会社側からすると「どれぐらい続けてもらえるんだろう」と気になるのもわかります。けれども今の時代そんな質問はあり得ませんので世の中変わったなと、素直に思えます。昇格するにあたっての障害ですが、やはり「女性を管理職には……」という思い込みが、まだまだパネリスト3人の時代には間違いなくあったと思います。でも、管理職というポジションに就いて、しっかり役割を果たして認めてもらえれば、あとはもっと上に行けるかな、と感じています。【勝山氏】
  •  勝山さんがおっしゃった通り、きっと「女性を管理職には・・・」という思い込みはあったのだと思います。ですが今、人事部で女性登用を考える側で男性上位職の方とお話しすると、弊社にはガラスの天井は思ったほどには無いと感じています。女性自身が決して自分を卑下することなく、「やってみたいです!」と言ったらいいと思いますし、その意志があれば、ガラスの天井なんて打ち破ることができるだろうと信じています。【中西氏】

■マミートラックから抜け出すためのアドバイス■

  •  私の場合は、東京で育休を取っていた期間がマミートラックに相当すると思います。その期間は育児が大変で、自分がやりたいと思うような仕事が十分にできないので、くさりました。精神衛生上よくないので、「思いっきり働ける人をうらやましがったり、比較するのはもうやめよう」と心に決めて、育休復帰後に要求されたレベルの上をいくぐらいの仕事が出来るよう、とにかく学び、蓄えを増やすための準備に努めました。【中西氏】

■20~30代のうちに経験してよかったこと・経験しておいてほしいこと■

  •  何にでもチャレンジすることだと思います。年を重ねるとできないチャレンジもありますし、何より20代は吸収力が全然違います。20代のうちに嫌なこともいいことも受け入れて経験しておくと、後々どのような仕事にも真摯に向き合う姿勢が養われると感じています。【勝山氏】
  •  いま振り返ると、「目の前にあることを一生懸命にやる」というのが、私の30代でした。最初は、まったく自信がなかったのですが、新しい仕事も受け入れてやらなくてはならないので、うまく折り合いをつけながら、どうやって自分のモノにしていくかってことを考えていたかな、と思います。【鈴木氏】

■参加者へのメッセージ■

  •  「人生は自己採点」ということを強く認識してほしいなと思っています。成績とか出世の速さとかいろいろ比べたくなるようなことはありますが、それよりも自分自身に嘘をつかずに、「私は全力を尽くしている」って自分にちゃんと言える、そういう生き方、働き方をすることが何よりも大切だと思います。そんな自分を自分でよしって採点して、それでまた明日から頑張る、こんなふうに働くのが一番いいなと思っています。【中西氏】
  •  三点あって、一つ目が、仕事も普段の生活の中でも無駄な経験はないということ、必ず後から生きてくる、だから限られた時間の中であっても、いろんなことにチャレンジしてほしい。二つ目が、人それぞれ生活環境が違うので、家、仕事、趣味、勉強、24時間をどう配分するか、みんなこうだから自分もそうするというのではなくて、自分で決めていただきたいと思います。私も最初は家事も仕事も100%と思ってやっていましたが合わせて200%は絶対無理なので、長い目で自分のペースを調整することが大切だと思います。三つ目に、何より、仕事は楽しく厳しくということ、限られた時間の中で厳しくなければ効率も上がらない、でも楽しくなければ継続できません。管理職や役員になることを怖がらず、まずはチャレンジしていただきたいです。【勝山氏】
  •  私は二つありまして、一つは、無駄な経験はないということです。長く働いていると本当にいろんなことが山のようにありますが、いいことも悪いことも、それを乗り越えていくと、あとで笑い話になっていい経験になっていくと思います。もう一つは、管理職登用の際に、女性はどうしても「私にできるかしら?自信がないので管理職になるのはやめておきます」と考えられる方もあるようですが、みんな、管理職になる前は自信がないものです。管理職になり一つ上のステージにあがると見える景色も変わってきますし、どんどん楽しくなってくると思います。私の場合も、今の立場になって見える景色が違ってきました。それぞれの立場で楽しみを見つけて、次、また新しい楽しみがあるよねって思っていると自分の思うような仕事をして活躍できますので、楽しんでお仕事していただきたいと思います。【鈴木氏】
参加者の声

 役員クラスの方でもこれまでのキャリアの中で悩まれてきたことを知ることができました。これまで自分が昇格していくイメージは持てていませんでしたが、一つ一つ今を頑張っていくといつかは見えてきそうだと感じることができました。温かい後押しの言葉をいただけてよかったです。(20代)

 現役女性役員の皆さんのお話を聴けて、とてもモチベーションが上がりました。一皮むける経験が本当に大事なのだと改めて感じ、自信はなくても「やりたい!やります」と働きかけていこうと思いました。(30代)

 パネリストの皆さんが「自分の出世は遅いほうだ」とおっしゃったことが意外でした。意識されているかは別として、それ自体がガラスの天井でありマミートラックだったのではと感じましたが、その後抜擢されるまで心折れずに頑張られたことが現在のキャリアにつながっているように思いました。(40代)

 皆さんの前向きな姿勢に、力強さを感じました。これまで真摯に業務に当たられ、そして常に前向きでいらっしゃったことが、とても響きました。へこたれていてはいけない、と自分を鼓舞できそうです。(50代)